2024年07月19日(金) 【キタヰの妻】との西ノ京〜平城宮跡ぶらり(薬師寺ほか) (近鉄、徒歩)
梅雨明け間近の暑いなか、【キタヰの妻】とのぶらりは前回につづき奈良県を訪れた。
初日は、西ノ京から平常旧跡をめぐりJR奈良駅前にあるスーパーホテルPremierJR奈良駅まで、次の経路で散策した。
近鉄 西ノ京駅 -> 野々宮天神社 -> 大池 -> 天満神社 -> 休ヶ岡八幡神社 -> 孫太郎稲荷神社 -> 薬師寺 -> 唐招提寺 -> 垂仁天皇 菅原伏見東陵と田道間守命御塚 -> 喜光寺 -> 菅原天満宮 -> (昼食) -> 平城宮跡 -> JR奈良駅前
いつものように伊勢市駅から近鉄に乗車すると行きは特急を利用せず・・・
西ノ京駅に到着したのは8時20分頃。薬師寺の開門は9時になっているので、東出口ではなく西出口へ。
大池まで遠回りし、薬師寺の西塔、東塔を遠望してから薬師寺へ向かうことにした。
まずは、偶然に見つけた野々宮天神社にてお参り。
大池の名のごとく、大きな池の周囲をぐる〜り、しばらくすると薬師寺が遠望できた。
近鉄沿線付近まで戻ると極楽寺、
天満神社。
天満神社付近に沿線へと続く路地を見つけたので進むと、その先は薬師寺の駐車場だった。
線路に沿って北上すると、こちらの踏切を渡った。
その先には休ヶ岡八幡神社。お参りの後、道なりに進むと
孫太郎稲荷神社。
こちらが、薬師寺 南受付である。(南から入って北へ抜ける)
薬師寺へ入ると、まずは境内社にてお参り。
南門をくぐる前に、ハスの状況を確認してから
国宝である東院堂。
初、薬師寺である。
北受付を通り抜けると與楽門を出た。
その前には唐招提寺への案内板が立っていた。このまま直進すれば唐招提寺だ。
しかし、玄奘三蔵院伽藍にも訪れるため、右方向へ進むとこちらの門をくぐった。
整備された参道を進むと
玄奘三蔵院伽藍にてもお参り。
その後は、少し参道を戻るとこちらの冠木門から薬師寺を後にした。
松並木を抜けると
右手に薬師寺北門跡がある。
さらに進むと
ほどなく、唐招提寺にたどり着く。
こちらも初めてだろうか?
気になるものが多く、撮影した枚数は多いがきりがないので少しだけ紹介しよう。
唐招提寺に続いては、垂仁天皇 菅原伏見東陵を目指した。
唐招提寺前の道路を右(西)方向へ進むと
踏切道尼ケ辻第三号の先にこちらの地蔵ほかを見る。
その前にあるこの分岐を右へ。
道なりに進むと、垂仁天皇 菅原伏見東陵へたどり着く。
倭姫命にも思いを馳せながらお参り。
こちらの濠には田道間守命の御塚があり、こちらでも。
濠に沿ってさらに進むと
暗越奈良街道へ出た。熱くて暑さが厳しいためかき氷を食べたいと思ったが、この経路に食べられる店もなかったので、以前にも命のアイスとなったCOOLishを買い求めた。これでしばしの回復。
【参考】 この時にCOOLishのありがたさを感じた。(ロゴが変わっている)
- 伊勢別街道 ふたり旅、その1/2 2015年09月21日
この時には気づく余裕がなかったが、帰宅後に調べたところ以前にこの付近を歩いていた。
【参考】
- 伊勢本街道(下鳥見橋(富雄川)~東向商店街) 2012年04月28日
ここから喜光寺は徒歩5分。次の交差点(信号機あり)を右折すると
こちらの常夜灯を右手に見ながら
こちらの歩道橋を渡った。国道で上下にサンドされた
歩道橋は感慨深い。
歩道橋を下ると目の前には喜光寺。こちらは東大寺大仏殿の造営に尽力した行基が創建した。
この本堂は大仏殿の参考にされたとの伝承があり「試みの大仏殿」との異称もあるそうだ。
弁天堂では、御神影である宇賀神像が公開されていた。
こちらのミズアオイ(準絶滅危惧種)は、福島県南相馬市において地下の古層に休眠していた種子が、東日本大震災の津波で地表が削られたことにより発芽したものとのことだ。
また、こちらの墓所が隣接していた。
喜光寺を後にすると菅原天満宮へ。
かわいいうしさんが迎えてくれた。
ここからは、東へ。
近鉄橿原線を越えないといけないので、菅原東交差点の先で
国道308号と国道1号の間へ潜り込むと
国道1号と並行して架かる歩道橋へ(階段もあるが、こちらは自転車も通れる坂道を)進んだ。
歩道橋の先には若草山が遠望できる。
秋篠川に架かる尼ケ辻橋を渡るとほぼ正午。予定通りだ。
こちらでランチ(私たちの様子を見てお冷を何杯も出してくれた)を終えると
平城宮跡へ向かった。
詳細についてはこちら
【参考】
暑い日差しが照りつけるなか、広ーい宮跡を・・・
開門時間が限られている
踏切。
平城宮跡を後にすると、JR奈良駅を目指すのみ。
ふたりとも暑さに気を使いながら・・・
なんとかJR奈良駅前へ到着するとホテルへチェックイン。
朝4時半に起床してから約12時間、疲れを癒やすためにまずはホテルの温泉を楽しんだ。