大樹も鳥居も姿を消していた師教天神社(伊勢市御薗町長屋)

2025年05月05日(祝・月) 大樹も鳥居も姿を消していた師教天神社(伊勢市御薗町長屋) (徒歩)

磯神社からの帰り道、御薗町長屋を歩いていると大いなる違和感を感じた。

この風景、以前と異なる。

師教天神社(伊勢市御薗町長屋)

師教天神社(伊勢市御薗町長屋)

 

一年半ほど前は、大樹が立ち、その下に鳥居も建っていたはず。

師教天神社(御薗町長屋)

師教天神社(御薗町長屋) 2024年01月01日時点

 

【参考】 今年の初詣は御薗村誌に掲載される神社めぐり 2024年01月01日

 

ところが今はこのような状態となっていた。

師教天神社(伊勢市御薗町長屋)

師教天神社(伊勢市御薗町長屋)

 

大樹は根元から切られ

鳥居も大樹も姿を消していた師教天神社(伊勢市御薗町長屋)

鳥居も大樹も姿を消していた師教天神社(伊勢市御薗町長屋)

 

鳥居も。

鳥居も姿を消していた師教天神社(伊勢市御薗町長屋)

鳥居も姿を消していた師教天神社(伊勢市御薗町長屋)

 

御薗村誌には、師教天神社について次のように記されている。

師教天神社(もろのりてんじん)上長屋区・字里中1348-3番地
創祀年代、由緒・沿革については不詳であるが、今日、上長屋区居住の倉世古家(当主教太郎)が私祭するところである。同家の寅七翁の言によれば、数代以前から奉祭してきていて、以前の社地は広大なものであったという。明治以前の同家先祖には、外宮大内人職に奉仕する人物もいるので、近世期から奉祭されていたと考えられよう。上長屋区所蔵の正徳年間(1711〜16)の氏神造替記録には、天神社入用費として麦一斗分が充てられており、往時より天神社の奉祭があったことを示している。

 

今後、どのように変化するのか、時々確認しよう。

 

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