2022年03月26日(土) 久しぶりに訪れた久居八幡宮、かつては野邊野神社(津市久居ニノ町) (車、徒歩)
津市久居アルスプラザを訪れたので、時間待ちで周辺を散策していたら久居八幡宮にたどり着いた。なんか見覚えがある風景・・・
どうやら、10年以上も前に訪れていたようだ。しかし、その時の社号名は野邊野神社だった。
【参考】
- 近鉄 酒蔵みてある記 油正「初日」 2011年12月日23
鳥居をくぐり参道を進むと左手には
山神さんと庚申さんがまつられている。
コロナ禍で使えない手水舎および社務所を過ぎると拝殿にたどり着く。
社殿は新しい。
また、常夜燈はこちらに集められていた。
さらに、野邊野八幡宮は久居八幡宮(野邊野神社)の社殿と切り離され、
特立していた。
社殿の御造営と社号名の変化について、久居八幡宮略記より次の記述を抜粋した。
当八幡宮は、第百十二代霊元天皇の御代、寛文十年(1670)十月二十日に久居の総鎮守として鎮座された。
鎮座と共に別当寺である長開寺が開祖され・・・(中略)・・・また当時は神仏習合であり、境内には八幡宮、宝殿、護摩堂があり、八幡宮の祭祀も別当により行われていた。
明治維新の神仏判然令によって長開寺は廃寺となり、三重県の神社の合祀は特に著しく、県内の神社の数は九分の一以下になった。明治四十一年四月に、久居村内二十三社が久居八幡宮に合祀され、神社名は土地の旧名に因み野邊野神社と改称された。それ故に、当八幡宮に「野邊野さん」とも呼ばれている。
平成二十四年、現在の神明造りの本殿と入母屋造りに唐破風向拝の社殿の大造営が行われ、御神威が益々高まった。
令和二年には久居八幡宮御鎮座並びに久居開闢三百五十年の佳節を迎え、それを機に社号が野邊野神社より、久居藩祖藤堂高通公が久居総鎮守として篤信した「久居八幡宮」の旧社号に復された。
なお、詳細については、これらのホームページで紹介されている。
【参考】
こちらは各宮の遥拝所。
境内の東側には
野邊野稲荷社が鎮座する。
壽命社の配置が不思議。
さらに、境内の南西には、さきほどの久居八幡宮略記に記されている長開寺跡の
石碑が建っている。
久居八幡宮を後にすると
津市久居アルスプラザへ向かった。