2023年12日16日(土) 公開講座「古文書・古記録から読み解く郷土の歴史-江戸時代の明和町-」講師 谷戸佑記(皇學館大学 准教授)@いつきのみや地域交流センター (車、徒歩)
明和町のいつきのみや地域交流センターでは、公開講座「古文書・古記録から読み解く郷土の歴史-江戸時代の明和町-」が開催された。
皇學館大学×明和町 地域連携協働公開講座
演題:古文書・古記録から読み解く郷土の歴史~江戸時代の明和町~
講師:谷戸佑紀氏(皇學館大学 文学部国史学科准教授、明和町文化財保護審議会委員)
谷戸さんは「明和町郷土文化を守る会」の古文書勉強会で講師を担当していることもあり、この会で古文書を読み下した成果を交えた内容だった。
古文書や古記録を解読すれば過去の事実を知ることができる。
それらの事実から発見があれば「過去」の捉え方が変わり、「今」の見え方が変わる。
このように古文書や古記録を解読する意味や効果を説明した後、いくつかの古文書により事例が示された。
佐田地区にある石仏(西出)と清光寺のお堂は、どこにでもあるものだが、【史料1】明和町所蔵の「佐田村子安地蔵来歴」を解読したことにより、その石仏の名は「なぶり地蔵」であることなどが明らかになった。このように、古文書から身近なものの過去の事実が明らかになる。
古文書を読めることが過去を知る第一歩。江戸時代の古文書や古記録のくずし字は御家流で、文体は候文。地域や身分を問わずに使われていたので、一度マスターしてしまえば、どのような文書でも大まかには読める。
江戸時代の古文書が御家流、候文であることを【史料2】個人蔵「藤堂高久書状」で示した。この書状は津藩の三代藩主である藤堂高久が家臣へ送った茶と魚の礼状だった。
この後、「明和町郷土文化を守る会」の古文書勉強会による成果の一部が紹介された。
地元の方とともに解読すると、地元ならではの方々の知識や視点が役立つ。
高齢の方が積極的に取り組んでおられるので、大学の学生にそのことを話すと学生への刺激にもなる。
また、次のような事実も明らかになった。
解読した【史料3】「八木戸庄屋文書」(明和町教育委員会)の往来手形之事には「八木戸村に住む新平の妻とよが、ひとりで霊場巡礼の旅に出たこと」が示されていた。
【史料4】同 の一札之事には「丈右衛門が船頭を勤めた大坂大津屋大次郎の船が、松平(伊達)陸奥守の御廻米を大坂から江戸へ運ぶ途中、伊勢湾沖で風難に遭って海に投げ捨てた米を八木戸村が回収して船頭丈右衛門へ渡した。お礼に一割の米をもらったこと」が示されていた。
さらには、江戸中期に地元の人が地元の視点で綴った「大淀名勝志」について。
地元の文化人と思われる村井昌宏は「すばらしい所が多いが、地元の人は何も知らない」との思いから綴った「大淀名勝志(27ヶ所を紹介している)」を解読している。いまは途中である。
個人蔵のこの史料は、奥書によると白米満国(山田の御師)が書き写したものを、本居宣長の門人である安田広治(山田の御師)がさらに書き写したもの。大淀は伊勢の知識人も関心を寄せる地だったのだろう。
最後に、【史料6】神宮文庫所蔵「台徳院様御朱印」により、谷戸さんが興味を持っている「神領五か村(神領となった明和町の村々)」について紹介された。
神領五か村は竹川村、斎宮村、上野村、有爾中村、平尾村で、斎宮村が最も規模が大きい。
竹川村と斎宮村、上野村の三村は、村内を参宮街道が通り、旅籠屋や茶屋を営む者や街道稼ぎ(馬稼ぎ、籠稼ぎなど)の者がいた。
また、 伊勢神宮と神領五か村の関係について
【史料7】神宮文庫所蔵「両宮神官持高内訳書」によると、納られたお米の一部が御饌(日別朝夕大御饌祭)に使用されていた。
また、【史料8】「乾家御用留」、「明和町史 史料編第二巻」(明和町)によると、村側から「虫除御祈祷」を依頼することもあった。
有爾中村など有爾郷十か村には神役人である御器長(有爾長)が存在し、別宮なども含めて年間で4万余個を調進していた(?)
など、江戸時代の伊勢神宮を支えていた重要な地域だった。
最後に、次の点をまとめ講座を締めくくった。
おわりに
○様々な歴史がある明和町
地域の歴史を解明してゆくことが大切
※社会全体の合理化・効率化が進むなかで、地域の個性が失われつつある現代において極めて重要
→ この積み重ねが地域の「個性」を見つめ直す、取り戻すことにつながる。生活している方にも、外から訪れる方にも有益(魅力の再発見・発信へ)
今回の講座で特に印象に残ったのは、次の一言だった。
解読は未来にも残る
また、谷戸さんは9月に明和町の方とご結婚されたことを自己紹介されていたが、講演で
「私の妻」のフレーズが何度も登場したことが印象的だった。こんなところに人柄を感じる。