田んぼの真ん中で見かけた一色塩田跡の説明板

2022年07月10日(日) 田んぼの真ん中で見かけた一色塩田跡の説明板 (徒歩)

一色神社から戸部神社[戸部の神]へ向かうため、避難タワー付近から

避難タワー(伊勢市一色町)

避難タワー(伊勢市一色町)

 

五十鈴川方向へ進むと土谷養鶏場の脇にはこのような水路が流れている。

こちらから

土谷養鶏場付近を流れる水路(伊勢市一色町)

土谷養鶏場付近を流れる水路(伊勢市一色町)

 

こちら方向へ。この先には川とつながる池がある。

土谷養鶏場付近を流れる水路(伊勢市一色町)

土谷養鶏場付近を流れる水路(伊勢市一色町)

 

左後方を眺めると田んぼの中に説明板のようなモノを見つけた。

田んぼの中に遠望できた説明板(伊勢市一色町)

田んぼの中に遠望できた説明板(伊勢市一色町)

 

戸部の神にてお参りを終えると堤防道路へ。振り返ってのパチリ。

戸部の神付近(伊勢市一色町)

戸部の神付近(伊勢市一色町)

 

堤防道路を一色大橋方向へ進むと、池の向こうに先ほど見かけた説明板が望めた。

堤防道路から望む一色塩田跡の説明板の方向(伊勢市一色町)

堤防道路から望む一色塩田跡の説明板の方向(伊勢市一色町)

 

堤防から下ると

一色塩田跡の説明板付近(伊勢市一色町)

一色塩田跡の説明板付近(伊勢市一色町)

 

こんな説明板が立っていた。

一色塩田跡の説明板(伊勢市一色町)

一色塩田跡の説明板(伊勢市一色町)

 

一色塩田跡

現在地正面の田地を一色町では浜田(24ヘクタール)左方の田地を鶴松田(59ヘクタール)といいます。中間に流れる小溝は南西に延びる浜田と鶴松田の境界です。このうち浜田は、かつては「一色塩田」で、明治末期(1910年)まで塩を作っていました。この浜田の塩田は、古く1400年頃より始められたもので、実の五百年余りも続きましたが、大正2年(1913年)以降、田地となりました。一色塩田の塩は良質で、赤穂の塩に匹敵するとまで言われ、十貫松を拠点に各地へ出荷されました。
なお、この浜田と鶴松田の境界には、中川[ナカゴ](地元では江川とも言った)が流れていました。現在の小溝はその浜田側の川岸で、広い所では百メートル近い川幅がありましたが塩田の廃止に伴い埋め立てられ、鶴松田に併合されました。
浜田には今も「竃屋敷」や「四ツ竃」などの地名が残っています。(現在地を起点にして旧跡を回ってみて下さい)
平成22年3月建

 

こちらのマップを見れば、一目瞭然。

一色塩田跡の説明板(伊勢市一色町)

一色塩田跡の説明板(伊勢市一色町)

 

浜田は、この説明板に裏側にあった。

一色塩田跡の説明板付近(伊勢市一色町)

一色塩田跡の説明板付近(伊勢市一色町)

 

さきほど見かけた水路は、中川の浜田側の川岸だったようだ。

 

このマップに出てくるキーワードは、十貫松、戸部の神、月の輪堤、鶴松(新)田、中堤、大橋跡。これらについては過去の記事が参考になるので、紹介しておこう。

【参考】

十貫松、戸部の神、月の輪堤

鶴松新田

中堤、大橋跡

 

堤防道路へ戻ると十貫松跡付近から

十貫松跡(伊勢市一色町)

十貫松跡(伊勢市一色町)

 

一色塩田跡の説明板方向を遠望した。

十貫松跡付近から望む一色塩田跡の説明板方向(伊勢市一色町)

十貫松跡付近から望む一色塩田跡の説明板方向(伊勢市一色町)

 

今度、あのマップを参考にこの周辺を歩き回ってみよう!

 

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