2022年05月04日(水) 道標に導かれて歩いた松阪道(玉城町岡村〜明和町有爾中) (車、徒歩)
以前から気になっていた道がある。
ここは、度会郡玉城町岡村および下田辺、佐田が境界をなす交差点。
ここには、はせ街道の道標が建っている。当然のことながら、この道標には「左 はせ道」とあるが、もう一面には「右 松阪道」と刻されている。
左の街道は何度も歩いたが、右へは足を踏み入れたことがなかった。
この道はサニーロードと並行し、最終的にはサニーロードの起点である県道37号(鳥羽松阪線)の有爾中交差点でサニーロードと合流する。国土地理院の電子国土WEBで、1961年〜1969年の航空写真を確認すると、その当時にサニーロードは存在せずこの道が各集落を繋ぎ南北に延びる主要な道であることがわかる。
いつかは歩いてみたいと思っていたが、なかなか機会がない。
本日は晴天で、どこかを歩こうと思ったところ、この道が頭に浮かんだ。
ついに、機会がやってきた。
先の道標から右へルートを取ると
道なりに・・・
左方向に石標を見つけたので寄り道したが、まったく文字が読めない。(断念)
さらに進むと
以前に車で通過したことがある場所にたどり着いた。
ここで、左方向に土蔵が見えたので
寄り道するとその前には山神がまつられていた。
先ほどの交差点まで戻ると先へ進んだ。この先で、センターラインがある車道は右へ直角に曲がっているが
より狭い道へと直進。直進と言っても道はくねくねしている。
日向集会所を過ぎると
右手に石柱を見つけたところ、その向かい側には
石段が続き
その上には東見寺があった。
フェンス前、階段脇には庚申さん(青面金剛像)がまつられている。
東見寺を後にすると
道なりに北へ。右側の細い道に誘われてまたまた寄り道すると、細い道の先には
こんな鬼瓦を見つけるのみだった。この道は何のために付けられているのか?
疑問を抱きながら元の道へ戻ると左手にこんな光景を見かけた。
フキの群生を過ぎてから左方向を眺めると・・・。鳥居を見つけた。
その方へ進むと二基の鳥居が建ち、一基目をくぐると
二基目はこちら。賽銭箱と瓦製の小祠、その先は窪地となっている。
また、鳥居の前には石壇があり、そこには数個の自然石と鳥居がまつられ、ひとつには[神跡]と刻されていた。
元の道へ戻ると右方向を遠望。
こちらには「←坂本」「門前」の地名板がある。
ここでは、道路を挟むように山神が向かい合ってまつられている。
山神を後にすると
ここは門前、お寺を探すと右手方向にそれらしい建物を見つけた。
お寺のようだ。ここは保安寺。
家が建ち並ぶ集落を外れると
左方向にサニーロードを遠望できる。
再び家並みが近づくと右方向に石柱を見つけた。
これは道標で[左 まつ坂、右 おはた 道]と刻されている。
ここでは左(直進)し、世古公民館の脇を通り過ぎた。
道幅は極端に狭くなったり、それなりに広くなったりを繰り返す。
ここからしばらくは狭い。そのためだろう、制限速度は20km。
道は丁字路となり、左側がクランクとなっていた。
また、丁字路の右側には山神がまつられている。
この丁字路で振り返るとこんな土蔵が建っている。
さらに、先へ進むと
右手方向にお寺のような屋根を見つけた。路地を進むと
民家が建ち並ぶなかに、興隆寺がある。
建て替え時に鬼瓦と共に交換された狛犬の足元には次の文字が刻されていた。
「・・不審な人や見かけない人に注意しましょう」の防犯地域看板。まさに「私だ」
(注意、注意)と急ぎ足で・・・
ついに家並みを抜けるとこんなところにも石柱を見かけた。
道標のようだが、文字が読めない。
ほどなく、有爾中交差点にたどり着くと「松阪道」歩きは終了となった。
帰りは、サニーロードを歩くと、歩き始めた玉城町役場まで戻った。
メジャーでは無い旧道も興味深いものだ。