2023年01月08日(日) 御頭神事、八玉神社(伊勢市有滝町) (車、徒歩)
八玉神社の御頭神事を拝観したのは11年前だった。
【参考】 2012年01月08日
最近、八玉神社の宮司が投稿するTwitterを見つけ、昨日の投稿で「御頭神事」の日時が紹介されていた。
結わえの樹 八玉神社(三重県伊勢市)
@yatamajinja1月7日
明日は年に一度の「御頭神事」です。めちゃ、寒いですが、御本殿磨きあげたいと思います。
明日は13時から祭典で、本来お獅子さんがご町内を深夜まで練り歩くのですが、コロナ禍ということ境内の内と外だけになります。よろしければ、お参りください。
コロナ禍は続いているが、境内と社頭で御頭さんが舞うとのことだったので、久しぶりに訪れた。
社殿は祭典の設えとされ
しめ縄には伊勢海老が付けられていた。
さらに、社殿の右手にある獅子殿では扉が開かれ
その前には輝きを放つ獅子頭が。
しばらくすると御頭さんが御垣の中へ移されると
祭典が斎行された。(修祓に始まり、宮司一拝、開扉、献饌、祝詞奏上、玉串奉奠、撤饌)
祭典を終えると御頭さんが御垣を出て
殿舎に向かって拝した。
記念撮影の後、
境内を出ると
鳥居の前へ。
昨日の予定では、境内と境外で舞う予定であったが、神楽師の関係者に不幸があったため舞は中止となり
ヘイバイ(刀を振り祓う)のみとなった。
ヘイバイを終えると希望者の頭を噛んだ。
希望者が紙垂を取り終えると、今年の御頭神事は終了となった。
獅子殿の前に置かれた獅子頭を収める箱書きで気になる名前を見つけた。
この面には、修復漆塗 平成四年として、次の名前を見つけた。
塗師 西澤 利一
あの久田遼三さんの後を継いだ浅沓師 西澤さんだったのだろうか?
【参考】
- [ 残念!] 途絶えてしまっていた伊勢の浅沓作 2016年04月21日
- 回想! 浅沓師 久田遼三さん
- 伊勢市伝統工芸振興シンポジウム、展示 2012年02月05日
最後、八玉神社の手水舎前に「八玉神社の由緒」が紹介されているので、一部を紹介しておこう。
由緒
当社は古来「八王子」と称し、度会郡北浜村大字有滝の地の産土神として祀られていました。その創始等については不詳ですが、明治3年(1870年)に改号し村社「八玉社」となりました。
その後、神社合祀令により明治42年(1909年)6月24日に北浜村大字有滝字大里鎮座の無格社「三社」(秋葉大権現、牛頭天王、金比羅大権現の三神を祀る社であったため、三社と号し、本殿は一棟三扉の特異な形状をなし、明治3年にそれぞれ秋葉社、津島社、琴平社と改号した)と、同字大浜鎮座の無格社「嚴島社」(嚴島神を祀る社で、旧「辨天」と称したが、明治3年に改号した)、同字宮ノ前鎮座の無格社「山神社」(大山祗神を祀る)の三神社を合祀しました。
さらに、明治42年6月25日には、同字社護神鎮座の無資格社「社宕神社」(神名不詳一座)とともに、村社「八玉社」は、北浜村大字村松字東大淀の立会地に新設された村社「北浜神社」に、「一村一社」の原則の下に統合されました。
しかし、昭和6年1月、氏子の総意によって、旧宮地に社殿、境内設備等を調え、非公認ながらも産土神と奉斎し、「八玉社」を復活させました。
その後、昭和26年3月15日には神社本庁の承認を得て「八玉神社」として設立し、昭和46年1月16日と平成3年1月6日、平成23年1月9日に御遷座を行い、今日に至っております。
神事として正月に斎行される「獅子舞」では、舞後半に藁で作った縁起物の雌雄の鮹が投げ入れられ、鮹の足を持ち帰ると幸せになれると言う風習があります。
次回は、境内や社頭での舞はもちろん、鮹の足や町内の練り歩きも拝観したいものだ。