冨玉社に参拝するために訪れた永松寺(伊勢市朝熊町)

2023年12月10日(日) 冨玉社に参拝するために訪れた永松寺(伊勢市朝熊町) (車、徒歩)

先日、御造営を終えた相生神社(伊勢市朝熊町)を訪れた際、

【参考】

 

こちらの境内から離れた場所にも境内社(箕曲瀬社および冨玉社)があり、それらも御造営を終えたことを知った。箕曲瀬社については鎮座地がわかったので、その翌日に現地を訪れた。

【参考】

 

冨玉社については何らの情報もなく過ごしていた。ところが、昨日、「ありのまま」さんから次の貴重なコメントを頂いた。

相生神社の境内社富玉社(ふぎょくしゃ)は朝熊の永松寺(秋田、福原の蟄居で有名)境内に祀られています。今本堂が建築中で、富玉社は新しくなっていますが、今仮殿なのか移られたかは不確かです。

 

早速、朝からまずは相生神社を目指した。

相生神社を訪れたところ、その入口には「奉納 相生神社境内社 氏子一同」と記された幟旗が立っていた。「今日は境内社の祭典?」と思って

相生神社(伊勢市朝熊町)

相生神社(伊勢市朝熊町)

 

お参りをしたが、特に祭典のような気配はなかった。

御祭神額(相生神社)

御祭神額(相生神社)

 

境内ではおじいちゃんとおばあちゃんが談笑していたので、話を伺うと

箕曲瀬社の祭典で、昨日だった。餅まきもあった。

とのこと。

お礼を述べると、私は例の立札を再確認し、冨玉社が鎮座する永松寺を目指した。

尼ヶ森社前の立札(相生神社)

尼ヶ森社前の立札(相生神社)

 

地図によれば、近鉄朝熊駅の南方向なので、相生神社を出ると西方向にある新朝熊橋へ向かい

相生神社から新朝熊橋(朝熊川)へ

相生神社から新朝熊橋(朝熊川)へ

 

西詰付近から朝熊駅へ向かった。

新朝熊橋(朝熊川)の西詰

新朝熊橋(朝熊川)の西詰

 

朝熊駅を右手に見て、朝熊山へ行くならその先を左へ折れるが

近鉄 朝熊駅付近

近鉄 朝熊駅付近

 

今回は、駅の前の道を南方向へ道なりに進んだ。

近鉄 朝熊駅から南方向へ(伊勢市朝熊町)

近鉄 朝熊駅から南方向へ(伊勢市朝熊町)

 

車一台がなんとか通れるほどの道を奥へと進むと

近鉄 朝熊駅から南方向へ(伊勢市朝熊町)

近鉄 朝熊駅から南方向へ(伊勢市朝熊町)

 

右手にはふれあい会館。

ふれあい会館入口付近(伊勢市朝熊町)

ふれあい会館入口付近(伊勢市朝熊町)

 

さらに進むと丁字路となり、近くにこちらの坂道を見つけた。この坂道を進むと

永松寺付近(伊勢市朝熊町)

永松寺付近(伊勢市朝熊町)

 

職人さんがいたので、挨拶してから「ここは永松寺ですか?、こちらに冨玉社という神社があると聞いたのですが・・・」と確認すると、その場所はお寺の裏側だったようで、新築工事が進められる本堂の前へと案内してくださった。

新築工事中の本堂(永松寺)

新築工事中の本堂(永松寺)

 

そして、「あれかな?」と言いながら、本堂の左側の奥にある真新しい社を紹介してくれた。

御造営された冨玉社(永松寺)

御造営された冨玉社(永松寺)

 

足場があり池の縁にあるフェンスとの間隔は殆どなく、通り抜けることはできない。しかたなく、ここでは遥拝で済ませた。

 

「ありのまま」さんのコメントにあった

永松寺(秋田、福原の蟄居で有名)

のキーワードで、次のサイトを見つけていたので、

【参考】

 

この記事の内容を参考に石段を探したところ、山門の脇から石段へと通じる経路を見つけた。

石段の下には注意書きがある。訪れる人が多いのだろうか?

墓所へ石段下にある注意看板(永松寺)

墓所へ石段下にある注意看板(永松寺)

 

注意書きに従い、足元に注意しながら石段を登った。

墓所へ石段(永松寺)

墓所へ石段(永松寺)

 

この先の内容について、帰宅後に調べたこちらを紹介しておこう。

伊勢の文学と歴史の散歩 増補 中川竫梵 著 古川書店, 1983.8の 四、朝熊から次の文章を引用する。

石城山 永松寺付近
金剛證寺の末寺で、文明年間(1469-87)松禅の開基という。境内に、秋田城之介の墓、及び福原右馬助の墓がある。
秋田城之介は、奥州秋田家の祖、国政不直の罪を蒙り、この地に謫居して死亡。和歌をはじめ、書道、茶道に通じ、又、薬方にも詳しく、岩城万金丹の名もここから出たといわれている。墓碑には、「高乾院殿前侍従厳梁空大居士」「万治二年己亥(1659)十一月廿九日」「安倍実季入道」とある。又、傍には、その幼女、侍女の墓石もある。
福原右馬助は、石田三成の女婿であったが、慶長五年(1600)関ケ原の合戦で敗れ、家来と共に朝熊に逃れて来たが、ここで果てたと伝えられている。墓碑には、「一任殿順積道蘊禅定門 濃州大垣城主福原右馬助」「慶長五年十月二日」とある。

 

また、国立国会図書館の利用者登録を済ませると次の本も読める。

  • 近畿景観 第9編 北尾鐐之助 著 創元社, 昭和17

ここでは朝熊岳へ向かう前に立ち寄った永松寺について、詳細に記述されている。

 

こんな話を頭に入れてからお参りすればよかった。

福原右馬助の墓(永松寺)

福原右馬助の墓(永松寺)

 

福原右馬助の墓(永松寺)

福原右馬助の墓(永松寺)

 

歴代住職の墓(永松寺)

歴代住職の墓(永松寺)

 

秋田城之介の墓(永松寺)

秋田城之介の墓(永松寺)

 

秋田城之介の墓(永松寺)

秋田城之介の墓(永松寺)

 

各墓所でお参りを終えて石段を登り詰めるとこの高台へ出た。ここからは朝熊町の町並みが見渡せる。以前は木立があったようだが、最近に伐採されたようだ。

永松寺の高台から眺めた朝熊町の町並み

永松寺の高台から眺めた朝熊町の町並み

 

足元に広がる多量のおがくずを踏みながら先へ進むと、秋田城之介の墓の脇を通り

秋田城之介の墓(永松寺)

秋田城之介の墓(永松寺)

 

永松寺の屋根が見える場所まで。さきほどお世話になった職人さんは瓦職人だった。

新築工事中の永松寺(伊勢市朝熊町)

新築工事中の永松寺(伊勢市朝熊町)

 

また、視線を左へ降ると、冨玉社の鳥居が望め、その奥に小道を確認した。

高台から眺めた冨玉社の鳥居(永松寺)

高台から眺めた冨玉社の鳥居(永松寺)

 

高台から石段とは逆方向へ進むとトラックが上れるように開かれた道が続き、その途中にこちらに小道が作られて(?)いた。(以前からあったのかもしれないが)

冨玉社へと続く別の経路(永松寺)

冨玉社へと続く別の経路(永松寺)

 

ついに、遥拝では、こちらでお参りできた。

御造営された冨玉社(永松寺)

御造営された冨玉社(永松寺)

 

箕曲瀬社と同様に真新しい。

御造営された冨玉社(永松寺)

御造営された冨玉社(永松寺)

 

さまざまな目的を果たすと、山門から永松寺を後にした。

永松寺の山門(伊勢市朝熊町)

永松寺の山門(伊勢市朝熊町)

 

永松寺(伊勢市朝熊町)

永松寺(伊勢市朝熊町)

 

その後は、東方向へ進み、朝熊岳道と交差するとこの案内とは逆方向へ進んだ。

朝熊岳道への案内(伊勢市朝熊町)

朝熊岳道への案内(伊勢市朝熊町)

 

河原地蔵堂の脇を進むと

河原地蔵堂付近(伊勢市朝熊町)

河原地蔵堂付近(伊勢市朝熊町)

 

横橋を渡り、

横橋(大谷川)(伊勢市朝熊町)

横橋(大谷川)(伊勢市朝熊町)

 

その先の橋も渡ると左へ折れて

?橋(伊勢市朝熊町)

?橋(伊勢市朝熊町)

 

相生神社へ戻った。

相生神社(伊勢市朝熊町)

相生神社(伊勢市朝熊町)

 

「ありのまま」さんの貴重な情報のおかげで、疑問が解消できるとともに、あらたなことを知ることもできた。(感謝)

 

Comments

  1. 直ぐに行動される気力に感心します。少しでもお役に立てて良かったです。遷座はまだの様ですね。毎週沢山の情報をアップして頂いて、楽しく観させて頂いています。

    1. ありのまま さん
      無事に冨玉社へたどり着けました。
      ありがとうございました。
      遷座はまだなのですね。
      ほかにも興味深い情報がありましたら、お寄せください。
      よろしくお願いします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です