御師文化再生フォーラム@伊勢河崎商人館 角吾座 2023年12月

2023年12月10日(日) 御師文化再生フォーラム@伊勢河崎商人館 角吾座 2023年12月 (徒歩)

本日、伊勢河崎商人館(伊勢市河崎)にある

伊勢河崎商人館(伊勢市河崎)

伊勢河崎商人館(伊勢市河崎)

 

角吾座では、次のフォーラムが開催された。

伊勢河崎商人館 角吾座

伊勢河崎商人館 角吾座

 

御師文化再生フォーラム

基調講演:「伊勢御師と戦国武将の関係」
講師:山田恭大さん(神宮司庁文化部神宮徴古館農業館)
研究発表:「推論・徳川家臣石川数正が丸岡家檀家に変わった理由?」
講師:丸岡正之さん(丸岡家18代当主)

 

ポスターには、次の概要が記されていた。

NHK大河ドラマ「どうする家康」において松重豊さんが演じる「石川数正」は家康から秀吉に主君を変えたことから御師を春木大夫(徳川家御師)から丸岡宗大夫に変えています。(書状あり)その経緯を古文書等から探ります。

 

基調講演:「伊勢御師と戦国武将の関係」

御師文化再生フォーラム 2023年12月

御師文化再生フォーラム 2023年12月

 

山田さんは、伊勢の御師および石川数正について概説した後、家康の重臣であった数正が秀吉の元へと奔出した理由を一般の諸説とともに「どうする家康」での状況を説明した。その後、徳川家康書状(北条氏規宛)や河辺義正家文書(「故実伝連記」、「旧記集」)および丸岡家文書などの史料を紐解き、次のようの結論づけた。

(1)丸岡家は三河以来の石川数正の御師であった可能性がある。
(2)天正十八年(1590)〜文禄元年(1592)頃には御祓いなどの品を数正に納めているため、この頃には御師として関係があったことは裏付けられる。
(3)丸岡家は文禄五年(1596)に春木大夫から上部大夫を仲介に数正の息子である康長の御師である権利を譲り受けた。

 

史料によって年代的な矛盾はあるものの、石川家が丸岡宗大夫の檀家になったことは明らかである。しかし、石川数正の御師である権利を春木大夫から譲り受けた上部大夫は、なぜに丸岡宗大夫に譲り渡したのか?疑問は残る。

この疑問を受け、丸岡さんの研究発表へと続いた。

 

研究発表:「推論・徳川家臣石川数正が丸岡家檀家に変わった理由?」

御師文化再生フォーラム 2023年12月

御師文化再生フォーラム 2023年12月

 

丸岡さんは、NPO法人旧御師丸岡宗大夫邱保存再生会議の活動目的「客観的に認められる史料を根拠にして、伊勢の御師の歴史や実像を明らかにし、その知恵やシステムなどを現代のまちづくりに活かしていくこと」を説明した上で、山田さんが提起した疑問について独自の推論を紹介した。

その内容を私なりにまとめると次の通り。

徳川家康の御師 春木大夫や羽柴秀吉の御師 上部越中は、いわばトヨタや三菱のような老舗の大企業でありお互いが檀家の権利をやりとりしても不思議ではない。しかし、なぜに、上部越中は駆け出しのベンチャーである丸岡宗大夫にその権利を譲ったのか。

当初は「石川に将来の見込みがないと判断し、檀家を欲しがっていた宗大夫にめぐんでやった」とあいまいに説明していた。
ところが、NHKの「どうする家康」関連番組で、次の推論に至るヒントを得た。

真田昌幸が沼田の領有を巡って徳川から離反した件で、番組の監修者が「大阪(秀吉)から上田まで遠いのに連絡がついたのは、秀吉領地にある伊勢神宮の神官がからんでいる」とし、その根拠となる史料「上杉景勝起請文」から春松大夫が仲介者であったと紹介した。
もっと安全で確実な連絡方法がある。それは秀吉の御師である上部越中から丸岡宗大夫を経由して真田昌幸に秀吉の書状を届けることだった。
天正10年(1582)〜天正13年(1585)の史実を振り返ると、武田家の滅亡、織田信長の死亡、秀吉の関白就任。その後、真田昌幸の離反、伊勢神宮両宮の遷宮、石川数正の出奔、大地震による秀吉領地の大損害など時代にも大きな変化があった。このような状況で、文字通り天下人となった秀吉の天下統一をバックアップすしようという機運が山田と宇治のまちにあふれていたと推論できる。
秀吉が徳川家康への圧力を強めていく戦略の一連の流れとして、真田の裏切り(1585年8月)、石川数正の出奔(同年11月)があったと見れば、「上部越中が丸岡宗大夫に石川数正を渡したのは、真田昌幸に家康を裏切らせた成功報酬であった」と言える。

 


 

石川数正については全く知識がなかったので、本フォーラムは興味深かった。

山田さんが数少ない史料から丸岡家との関係を紐解き、そこから生じた疑問を丸岡さんが推論するというスタイル、おふたりの連携が今回のテーマを完結させた。

必要な史料を見つけるの大変だし、数少ない史料から事実を導き出すのは大変な作業だ。山田さんのまとめにある年代の矛盾点がさらに解決することを期待したい。

また、丸岡宗大夫邱は例幣使の宿となっていた理由の裏話がとても面白かった。その内容については、ぜひとも旧御師丸岡宗大夫邱を訪れ、丸岡さんに伺ってほしい。

 

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