2024年08月18日(日) [こんぴらさん お迎えの地]石標を見かけ樋ノ山までのぶらり (車、徒歩)
野暮用で鳥羽を訪れた。伊勢湾フェリーののりばへは久しく訪れたことがなかった(30年ぶりだろうか)ので懐かしさを感じながら立ち寄った。すると2015年(平成二十七年)に建立された
[こんぴらさん お迎えの地]石標を見かけた。
その隣には、いわれが掲示されていた。
「こんぴらさん お迎えの地」のいわれ
昭和三十一年八月十日、鳥羽市民をはじめ近郷の人達の強い要望により、金刀比羅宮鳥羽分社は、讃岐金刀比羅宮より御分霊をお迎えして、鳥羽市樋の山に御鎮座されました。
この際、讃岐本宮を出発した御分霊は、近鉄で宇治山田駅まで来た後、車で小浜港へ移動し、ここから御座船に乗り、海上渡御されて、中之郷海岸に上陸し、樋の山へ向かいました。
本年、御鎮座六十年の記念すべき年を迎え、御鎮座の経緯を長く後世に伝えるとともに、金刀比羅宮をこの地へ誘致するのに尽力された、鳥羽分社造営奉賛会会長 元参議院議員 津島壽一氏、並びに鳥羽市初代市長 中村幸吉氏をはじめ、数多の先人達の、功績を顕彰することを目的として、御分霊が上陸された、縁深きこの中之郷の海岸に石碑を建立することとなりました。
今後、金刀比羅大神様の御神徳を頂いて、鳥羽市がさらに飛躍することを祈念するものです。平成二十七年 十一月
金刀比羅宮鳥羽分社崇敬講
会長 寺田直喜
金刀比羅宮鳥羽分社には2015年に初めて訪れてから何度が訪れたが
【参考】
- 金刀比羅宮鳥羽分社、樋の山(鳥羽市) 2015年08月23日
またお参りしたくなった。最近は【キタヰの妻】も高台へ上ることを厭わなくなったので、突然だけど、野暮用を済ませてから金刀比羅宮鳥羽分社が鎮座する樋ノ山を目指した。
カモメの散歩道、
ドルフィン公園を経由し
鳥羽駅を通り抜けると金刀比羅神社(宮)鳥居を向かった。
こんなにこの鳥居をまじまじと眺めたのは初めてだろうか。扁額には金刀比羅神社と陽刻されている。
それを正すかのように鳥居の柱にはこちらが札が貼られている。
金刀比羅神社鳥居を後にすると
[こんぴらさん]の道標に従った。駅前から約2kmの位置にあるのだろう。
扇芳閣の前にある[850m こんぴらさん]道標を過ぎて先へ進むと不法投棄のような悪景が現れる。
参道としては最悪の風景だ。鳥羽みなとまつりで海上渡御(電飾船での海上パレード)のために、讃岐金刀比羅宮鳥羽分社から神様がこのルートを通ると思うと悲しくなる。なんとかならない?
しかし、こんな光景も望めるのに・・・
[550m こんぴらさん]の道標を過ぎれば
もうすぐだ。
道なりに進むと
ほどなく
金刀比羅宮鳥羽分社に到着した。日陰が多く、悪景を除けば思ったよりも快適な参道だった。
お参り。
拝殿の近くからはこんな眺望がある。
金刀比羅宮鳥羽分社への参拝を終えると白龍稲荷神社にもお参り。
こんな状態に変化していた。
金刀比羅宮鳥羽分社を後にすると下るのみ
扇野の鐘を確認して(鳴らしてはいない)から
めだかの学校に立ち寄った。
足し湯あり
温泉たまご作り体験(午前8時から10時)あり。
こちらがめだかの池。
藤棚の脇には
次の掲示があった。藤が咲く時期には訪れたくなった。
さらに、こちらの音楽人形館は訪れるべき価値、大大大。
【参考】
めだかの学校を後にすると
以前に登ったことがある道を下って、[550m]の道標からショートカットしようとしたが、
【参考】
- 樋ノ山を目指しての鳥羽ぶらり 2019年11月02日
その経路に、こんな注意看板があった。トラブルはゴメンなので、来た道をくだった。
鳥羽の町並みを歩いているとこんなモノを見かけた。