2024年07月06日(土) 志宝屋神社(豊受大神宮 末社)で斎行された地元の「夏のおまつり」 (徒歩)
大湊の日保見山八幡宮へ向かう途中、豊受大神宮の末社である志宝屋神社にもお参りすることとし第二湊橋で大湊川を越えた。
いつものように鳥居をくぐり参道を進んだところ
見慣れない光景が広がっていた。
祓所には手水桶まで用意されていた。これは祭典に違いない。
社頭付近で待機されていた男性に確認すると、その方は祝部(ほうり:神宮の摂社・末社・所管社の守衛・掃除などを監督するため神宮司廳より委嘱されている)さんだった。
神宮の祭典としては年に5回ありますが、毎年7月の第一土曜日は地元のため神宮に祭典をお願いしています。地元の人は親しみを込めて「明神さん」と言っています。
この付近には大塩屋御薗があり、この地域は塩屋でありここに塩屋明神がまつられていたことを思い出しながら、地元の方々に受け継がれる信仰心を体感した。
【参考】
- 志宝屋神社(豊受大神宮 末社)前の寿し桶と第二湊橋付近の大塩屋跡を思いて(伊勢市大湊) 2019年04月07日
- 年始のご近所神社まいり(伊勢市御薗町・大湊町・神社港・下野町・馬瀬町) 2020年01月03日
志宝屋神社では祭典の準備が進められたので、周辺をぶらり。
以前にも紹介したが、この電柱には「塩屋」ではなく「明神」の文字が残されている。
祭典の準備を終えた境内へ戻ると、神職は衣装を整えるため担当のお宅へ向かった。
祭典が開始されるまで、地元の方から
以前は大人四人が手を伸ばして囲うほどの太い杉があり、有滝など宮川対岸の漁師には漁場の目安にされていた。残念ながらその大木は倒れそうになり惜しまれながらも伐採された。
子どもの頃、夏は神社に集まって涼んでいた。
など興味深い話を伺った。
定刻の10時を過ぎたが、地元主体の祭典であるため参列者が集合するまでしばし待機。全員が集まると
神職による「それでは、夏のおまつりを始めます。」の一言で祭典が開始された。
式次第は一般的で、修祓・参進・献饌・祝詞奏上・玉串奉奠(神職による)・八度拝・玉串奉奠(参列者)・撤饌にて滞りなく斎行された。
神宮の祭典では祓詞や祝詞が微音で奏上されるためその内容を聞き取ることはできない。しかし、今回は地元のための祭典だからだろう、いずれもその内容を聞き取れ、貴重な体験となった。
祝部さんおよび地元の方々のご厚意により、私も玉串を奉奠させていただき、さらには御神酒や神饌、玉串までいただいた。(感謝)
たまたま訪れたところ、地元の祭典の日であった。
感謝しかない。