2024年02月17日(土) 「復活を目指す伊勢山田傘展」@鳥羽大庄屋かどや (徒歩)
本日は、鳥羽大庄屋かどやにて開催されている「復活を目指す伊勢山田傘展」を拝見した。
私が山田傘の存在を知ったのは、今はなき伊勢市立郷土資料館だった。
【参考】
- 伊勢市立郷土資料館 2010年07月04日
- 【閉館】伊勢市立郷土資料館 2011年05月22日
その時は「伊勢(山田)にもこんな伝統工芸があったのか!」と頭の奥に残る程度だった。
そのため「山田傘」というキーワードは頭にあったものの、それを思い返す機会がなく今まで過ごしていた。
ところが、鳥羽大庄屋かどやにて「復活を目指す伊勢山田傘展」が開催されると聞いたところ、そのキーワード「山田傘」が頭の奥から飛び出して来て、思わず訪れてしまった。
<展示>
2月4日(日)~3月4日(月)
「復活を目指す伊勢山田傘展」
かつて伊勢市の主要産業の一つだった和傘「伊勢山田傘」は40年前に生産が途絶えました。その復活を目指して手探りで調査・施策を続けている鈴木俊宏さんの作品展です。【引用】 かどや保存会のホームページ より
展示会場は2階で
その入口には次の挨拶文が掲げられていた。
ご挨拶
本日はご来場いただき誠にありがとうございます。
伊勢山田傘とは、旧山田地区(現伊勢市)で製造されていた和傘です。江戸期より製造され、地域の自然や生活と文化に深くかかわっていました。
今回は山田傘の絵日傘を基にした作品を中心に、資料などを展示させていただけることとなりました。
私は、まだ山田傘を製作した経験が少なく、私の作品は拙いところもあります。しかし、私の活動を応援し山田傘の伝統技法を踏まえて素晴しい作品を生み出してくれた方たちの作品と共に展示の機会をいただけました。この機会を誠に嬉しく思っています。
私は、自らの手で山田傘を製造し復活させることを目指し活動しています。地方色があったであろう頃の伝統技術を踏襲する形での復活を考え、資料調査に力を入れ、啓発活動などを続けてきました。
山田傘は、当時の資料に「主たるものは番傘にし、俗に山田傘と呼ばれ其の歴史最も古く品質堅牢なること古来より世に知らるゝところなり」と紹介され、丈夫な番傘が主流であったことがわかります。『東海の副業』によると、生産された山田傘は県内の海岸線一帯に多く出荷されていました。桃取や答志にも出荷が多かったようです。旅館の貸し傘として利用され、潮風に強い太い骨が好まれたと言われています。鳥羽地方とも縁の深い身近な伝統工芸品でした。
山田傘の時代より70年が経過し、製造中止より約40年が経過しました。元職人より伝統技法を聞き取ることが絶望視される中、皆様のご支援ご協力により、奇跡的に元職人たちに巡り合うことができました。調査は継続中ですが、主要工程は昨年末までに元山田傘職人より習うことができました。また、調査の成果は順次まとめ、『伊勢民俗』へ掲載させていただいています。是非この機会に山田傘の事を知っていただければ幸いです。
美鈴洋傘四代目店主 鈴木俊宏
この「ご挨拶」が掲示された部屋では、私の活動を応援し山田傘の伝統技法を踏まえて素晴しい作品を生み出してくれた方たちの作品が展示されていた。
さらに、奥へ進むと鈴木俊宏さんが製作した山田傘が展示されている。
左側の傘にはSDGsの思いが込められいる。
復元製作時の写真も展示されているが、もっと大きなサイズで見たいものだ。
こちらの写真には明和町にある竹茗舎の代表である渡邉幸宏さんの姿を見つけた。
さすがに竹の専門家である。
【参考】
- 斎宮ほっつき歩き 平安の斎宮寮跡の外周を巡る!!編 2015年10月10日
床の間の前には製作道具や調査資料等が展示されている。
ここには、鈴木さんがまとめた論考「伊勢山田傘への招待:絵とその工程」が掲載された『伊勢民俗 第51号 03/2023』が展示され、拝読できた。
その隣には、多数の傘が干されている写真など貴重な写真が。
さらには、製作道具。
こちらは傘の製作や展示に使用される
「ウマ」だった。
今後も鈴木さんたちによる山田傘の復活に期待したい。
なお、「大庄屋かどや」はこんな雰囲気の場所、
展示の他にも楽しめる。ぜひ、訪れてみては!
【参考】
- 国登録有形文化財 鳥羽大庄屋かどや(旧広野家住宅) 2013年09月07日
また、こちらは赤崎神社(豊受大神宮 末社)の近くにあり、玄関先には当然のように御神杉が掛けられている。(我が家と同じだ。)