2024年03月10日(日) 令和5年度企画展 山田奉行の足跡(1)@山田奉行所記念館(伊勢市御薗町上條) (徒歩)
山田奉行所記念館(伊勢市御薗町上條)では企画展として「山田奉行の足跡(1)」が開催されている。
令和5年度企画展 山田奉行の足跡(1)
開催期間
令和6年3月1日(金曜日)から令和6年3月31日(日曜日)まで開催時間
午前9時から午後4時まで ※火曜日は休館開催場所
山田奉行所記念館内容
歴代の山田奉行は、山田三方会合・宇治会合の上にあって、ご遷宮の造営奉行・神宮の守護、神領の公事・裁判、鳥羽港に出入りする船舶の点検などの職務を遂行しました。その仕事ぶりは、歴代48人それぞれ異なるものでした。
今回は「山田奉行の足跡」の第1弾としてその中から2人の奉行、大岡能登守忠相(おおおかのとのかみただすけ)と秋山安房守正光(あきやまあわのかみまさみつ)の人間性を中心に紹介します。
午後から散歩がてら訪れた。
記念館では、企画展の展示室へ入る前に大岡忠相が迎えてくれた。
こちらは展示会場。いつもの部屋だが、テーブルの配置が違っていた。
会場には次の説明書きが置かれている。
展示概要については網羅されているので、あとは会場を訪れ詳細を自分の目で確認するだけだ。(ぜひとも、ご来場を!)
令和5年度企画展 山田奉行の足跡(1)
歴代の山田奉行48名のうち、今回は18代奉行大岡能登守忠相と47代奉行秋山安房守正光を紹介するものである。主に2人の奉行の人間性に思いを馳せて展示に目を通していただけたら幸いである。
[山田奉行18代大岡能登守忠相(おおおかのとのかみただすけ)]
正徳2年(1712)1月〜正徳6年(1716)2月
当時は2人奉行制で、相役は渡辺下総守輝であった。2人が江戸と伊勢山田勤務を隔年交代した。在任中の裁断として伝わっている紀州領との領地争いや宮川流木争いなどは後世に創作されたものであることは否定できない。しかし、神宮の神官や年寄衆に綱記粛正を厳達する一方、公事の際の神官たちの待ち時間を軽減するなどの執政は、名判官として名を残した足跡の一端を垣間見ることができる。今回の展示では、山田奉行就任時の様子を記した下四郷年寄文書や外宮の御鏡盗難事件の顛末、江戸町奉行から大名に昇進した足跡、大岡家菩提寺である茅ヶ崎市の浄見寺の墓所の写真、出世地蔵として名高い「桜木地蔵」などを紹介している。また書軸や和歌、肖像画、役者絵、大岡政談の写本や時代小説なども展示している。
[山田奉行47代秋山安房守正光(あきやまあわのかみまさみつ)]
安政6年(1859)10月〜文久3年(1863)4月
1853年のペリー来航をきっかけに、国論は佐幕開国派と尊王攘夷派に分かれ、大揺れしていた。その中、神宮の防衛と神領の安寧を任として、秋山奉行は赴任した。文武両道の人であった秋山正光は、津藩ほかの協力を得て、神宮防衛の仕事を進めるが、一方、書家で文人であった秋山は、得意であった隷書の作品を多く残した。また、任地の住民融和作として、政策では養老の勧奨を、文人としては、土庶土民が共同し謳う和歌集の編纂を企画発起、藤波祭主や河辺大宮司の協力を得て「松杉和歌集」を完成させた。
【大岡能登守忠相】
【秋山安房守正光】
今回は2名の奉行について紹介された。
展示のタイトルが「山田奉行の足跡(1)」となっているので、(2)、(3)を期待してしまう。
歴代48名の山田奉行、あと46名がどのように紹介されるのか、楽しみだ。
山田奉行所記念館を後にすると、近くに残る「史蹟 山田奉行奉行所跡」へ立ち寄った。