2023年08月20日(日) MieMu移動展示「先っちょ志摩に生きる」から6年半、初めて訪れた越賀のぷちぶらり(志摩市志摩町) (車、徒歩)
志摩市歴史民俗資料館で「先っちょ志摩に生きる」展を体感したのは、2017年02月だった。
【参考】
- MieMu移動展示「先っちょ志摩に生きる」@志摩市歴史民俗資料館 2017年02月18日
越賀村の絵図を手にして越賀をめぐろうを思いつつも、知らぬ間に時が過ぎ、新型コロナに突入してしまった。あれから約6年半。
今週は特に予定がなったので「どうしよう?」と考えていたところ、いきなり越賀のことが思い出された。絵図は入手できてはいないものの、ロケハンのつもりで午前中にぶらりすることとした。
まずは、さきほどの冊子で紹介されている
- 越賀の舞台
- 越賀神社
- 神島海難者供養塔
- 大蔵寺
- 越賀村郷蔵
- 普門寺
- 宝珠院
を訪れることにした。
越賀神社にお参りするため、越賀の舞台前にある越賀神社の駐車場へ。
駐車場を後にすると
越賀漁港を眺めてから
越賀神社へ。
階段を登り切る手前、左側にかっぱの家族。
お参りを終えて階段を・・・
神社の前には海が広がっている。
神社を後にすると左方向へ
浜へ出ると見慣れない石積みが三か所に。これは?
浜を後にすると墓地を目指した。
カーブする坂道で、御座港行きのバスとすれ違う。
神島海難者供養塔なので、海に面して建てられているのかと思ったが
道路を挟んで向かい側の墓地に建てられていた。(墓地を何度も巡ったので、怪しい人だ)
墓地を後にすると来た道を戻った。その途中で、パチリ。
越賀の舞台前まで戻ると、ここからは堤防に沿って・・・
しばらく進むと右方向に階段を見つけたので、こちらへ。
その先には大蔵寺。
ここでもパチリ。
本堂の左手にはこんな場所があった。
また、墓碑が埋め込まれた築地塀も確認した。
大蔵寺を後に、海岸へ戻ると郷蔵方向へ。
近畿自然歩道の道標で城山休憩所方向へ進むと
通行止は解除されている。遊歩道へは進まずに、この「通行止」を背にして小道を進むと
左手に旧越賀村郷蔵がある。民家が建て込んだ場所にあるので、私のイメージとは違った。
郷蔵の鬼瓦はエビスだ。
こちらは郷蔵に隣接する文書蔵。
こちらのポータルでも紹介されているように、越賀村に関する重要な古文書が今でも収蔵されているのか?
【参考】
- 旧越賀村郷蔵文書|構成文化財|#073 海女(Ama)に出逢えるまち鳥羽・志摩|日本遺産 ポータルサイト
その隣にある井戸は、精緻に加工された石組みとなっている。
さきほどの遊歩道へ進むと、こちらは道標にあった城山休憩所。
目の前には太平洋が広がっている。
あれは海女?
休憩所を後にすると
海岸沿いを進み、こちらも通行止が解除されている。さらに、海岸沿いを進むとテトラポット経由で・・・
海辺から道路へ戻ると越賀バス停。
堤防に沿って進むと
目指すは普門寺だ。
右手にこの風景を見ながら・・・
こちらの商店「風味堂」を背にして進むと
その先には普門寺。こちらの階段に左手にある
階段を登ると、この風景を体験できる。
階段の途中から普門寺へ移動する途中で・・・
普門寺の本堂の左手には、こんな場所。大蔵寺でも目にしたような風景だ。
お参りを終えて、正面の参道を戻ると交換された鬼瓦が飾られている。
そこには鬼師の名が刻されている。藤原兼綱、森川金六の二名。
こちらには、志州神明浦 瓦屋 向井久?。
普門寺の近くにある坂道を登ると
こんな光景を目にできる。
さらに進み、小山の上を一周して
こちらへ。
本日の目的地は、宝珠院のみ。
気になる電柱をパチリ。
さきほど、石垣越しに見かけた店舗の前を進むと
細い坂道を進む。
こんなところにも立派な
蔵が建っている。
その後ろを進むと
こちらが宝珠院。
本堂の左手には池を期待したが、こちらにはお稲荷さんがまつられている。
宝珠院を後にして坂道を下ると、こんなところにも築地塀があり、瓦に印が刻されていた。
JP志摩越賀郵便局の前には、これも井戸?
海岸沿いへ戻ると堤防に沿って・・
写真集 越賀の案内掲示を見かけた。
さきほど大蔵寺へ向かった道だ。
隣の空き地は、大蔵寺の臨時駐車場となっていた。
越賀神社までもうすぐだ。
越賀の舞台の鬼瓦を眺めると本日のぶらりは終了となった。
本来は、越賀村の絵図を片手にあのような小道を歩き回る予定だったが、まずはロケハンだ。
次回はじっくりと旧村内を歩き回ることを期して、越賀を後に。
とても楽しい半日だった。