小俣のぶらり(山神に、神宮摂社に・・・)

2024年08月16日(金) 小俣のぶらり(山神に、神宮摂社に・・・) (徒歩)

外城田川を若山橋まで遡ったらあとは帰宅するのみ。

小俣町内をぶらりと歩いていたら、お寺の塀に山神が埋め込まれていた。

無量寺の塀にまつられる山神(小俣町元町)

無量寺の塀にまつられる山神(小俣町元町)

 

こちらは太平山無量寺である。補強された山門の脇では植木屋さんや剪定作業中だった。

無量寺の寺号標と山門(小俣町元町)

無量寺の寺号標と山門(小俣町元町)

 

住職は不在なので本堂は閉ざされてた。隣にある御堂を覗くと

無量寺の御堂と本堂(小俣町元町)

無量寺の御堂と本堂(小俣町元町)

 

そこには

御堂には金毘羅大権現の扁額、無量寺(小俣町元町)

御堂には金毘羅大権現の扁額、無量寺(小俣町元町)

 

金毘羅大権現の扁額が添えられていた。

御堂には金毘羅大権現の扁額、無量寺(小俣町元町)

御堂には金毘羅大権現の扁額、無量寺(小俣町元町)

 

ここは電柱で[第一栄町支10]。

[第一栄町支10]NTT電柱番号板

[第一栄町支10]NTT電柱番号板

 

さらに、道なりに進むと見覚えのある社叢。路地を進むと

小俣神社の社叢へと続く路地

小俣神社の社叢へと続く路地

 

やはり小俣神社だった。

小俣神社(豊受大神宮 摂社)

小俣神社(豊受大神宮 摂社)

 

記録を確認すると、3年ぶりだった。

【参考】

 

小俣神社(豊受大神宮 摂社)

小俣神社(豊受大神宮 摂社)

 

小俣神社(豊受大神宮 摂社)

小俣神社(豊受大神宮 摂社)

 

遷座を終えてから7年以上が経過するので

【参考】

 

制札は上部の銅板を止める釘がかなり浮いていた。

小俣神社(豊受大神宮 摂社)の制札

小俣神社(豊受大神宮 摂社)の制札

 

小俣神社に続いては、隣地に鎮座する八柱神社にもお参り。

八柱神社(小俣町元町)

八柱神社(小俣町元町)

 

大きな石積みの蕃塀が特徴的である。

八柱神社(小俣町元町)

八柱神社(小俣町元町)

 

また、こちらには官舎神社の神宝獅子舞が巡回する。

【参考】

 

八柱神社を後にすると六地蔵石幢と庚申堂がある中小俣公民館前から

中小俣 六地蔵石幢と庚申堂(小俣町元町)

中小俣 六地蔵石幢と庚申堂(小俣町元町)

 

汁谷川へ出た。しばらく汁谷川の左岸を歩いた後、町中へ戻った。

中洲橋(汁谷川)付近

中洲橋(汁谷川)付近

 

慶蔵院を過ぎると右手方向に見慣れない・・・

慶蔵院(小俣町元町)

慶蔵院(小俣町元町)

 

慶蔵院を望めるこの場所には

慶蔵院付近(小俣町元町)

慶蔵院付近(小俣町元町)

 

新たに基壇が設置され、その上には山神がまつられていた。

新たにまつられた?山神(小俣町元町)

新たにまつられた?山神(小俣町元町)

 

これは新しそうだ。どこからか移されたのか?

近くにあるチカネバ地蔵の近くにも山神がまつられていたので、チカネバ地蔵を目指し

チカネバ地蔵(小俣町元町)

チカネバ地蔵(小俣町元町)

 

チカネバ地蔵(小俣町元町)

チカネバ地蔵(小俣町元町)

 

山神を確認した。こちらは以前と変わりないようだった。

チカネバ地蔵付近の山神(小俣町元町)

チカネバ地蔵付近の山神(小俣町元町)

 

ここまで来たら後は、宮川を越えて帰るのみ。豊浜大橋へ向かうと伊勢市小俣町と磯町の境界付近の地名板が気になった。小俣町も伊勢市だから[伊勢市]は?

今も残る[伊勢市]の地名板(伊勢市小俣町と磯町の境界付近)

今も残る[伊勢市]の地名板(伊勢市小俣町と磯町の境界付近)

 

この後、車が行き交ったので、反対側の地名板を確認し忘れた。

その地名板には何と書かれているのだろうか?

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です