存在を主張する旧野依橋の親柱(外城田川)

2024年08月16日(金) 存在を主張する旧野依橋の親柱(外城田川) (徒歩)

伊勢志摩総合地方卸売市場(伊勢山田青果)を訪れるため、宮川と外城田川を越えた。

 

まずは「宮川大輔」と読めてしまう橋名板を確認してから

[宮川大橋]橋名板

[宮川大橋]橋名板

 

宮川大橋を渡ると

宮川に架かる宮川大橋

宮川に架かる宮川大橋

 

ここからは歩道がなくなり、歩行者は国道23号から側道へ誘導される。

宮川大橋を渡ると歩行者は側道へ

宮川大橋を渡ると歩行者は側道へ

 

坂を下り、側道を進むと

歩行者は側道で宮川大橋から外城田川橋へ

歩行者は側道で宮川大橋から外城田川橋へ

 

こちらから歩行者も国道23号へ戻れ

歩行者はここから外城田川橋へ

歩行者はここから外城田川橋へ

 

外城田川橋で外城田川を越える。

外城田川に架かる外城田川橋

外城田川に架かる外城田川橋

 

歩道橋も好きだけど、橋も好きなのでここを下ってから

外城田川に架かる外城田川橋

外城田川に架かる外城田川橋

 

外城田川橋の下へ移動すると、落橋防止用の緩衝チェーンが大量に設置されていた。

外城田川橋の裏側

外城田川橋の裏側

 

外城田川橋を背にして左岸を上流方向へ進むと

外城田川の左岸にて(外城田川橋上流側)

外城田川の左岸にて(外城田川橋上流側)

 

違和感を感じた。

不思議な道路標識と橋台跡(外城田川)

不思議な道路標識と橋台跡(外城田川)

 

あの道路標識は誰のため?、さらにこの場所は橋台跡ではないか?

不思議な道路標識と橋台跡(外城田川)

不思議な道路標識と橋台跡(外城田川)

 

対岸を眺めるとその先にも橋台跡らしきもがある。さらに突き出た構造物も(あれは親柱?)

両岸に残る橋台跡(外城田川)

両岸に残る橋台跡(外城田川)

 

数十m先の野依橋を渡ると対岸へ渡った。

野依橋(外城田川)

野依橋(外城田川)

 

そこで目にしたものは

親柱が残された旧野依橋跡(外城田川)

親柱が残された旧野依橋跡(外城田川)

 

まさしく親柱だった。ここに立てば存在を主張しているが、車で通るとガードレールが隠している。ここは何十回も車で通っているはず。

親柱が残された旧野依橋跡(外城田川)

親柱が残された旧野依橋跡(外城田川)

 

貴重な親柱には「のよりはし」「昭和四十六年(1971)三月」と刻まれている。

旧野依橋の親柱(外城田川)

旧野依橋の親柱(外城田川)

 

つまり、こちらは旧野依橋の跡だろう。

 

現在の野依橋へ戻って確認すると「竣工 昭和59年(1984)12月」となっている。

旧野依橋跡の上流側の架かる野依橋(外城田川)

旧野依橋跡の上流側の架かる野依橋(外城田川)

 

帰宅後に国土地理院地図(航空写真)で確認すると

1974年〜1978年

 

1979年〜1983年

 

2008年

 

2023年

 

となっている。

 

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