外宮北御門口前に残されるコンクリート電柱は、おはらい町に立っていた昭和初期の電信柱

2025年01月13日(祝・月) 外宮北御門口前に残されるコンクリート電柱は、おはらい町に立っていた昭和初期の電信柱 (徒歩)

本日も電柱ネタ。

外宮の北御門口から月夜見宮へと続く道の傍ら。

コンクリート製の柱が立っているのは知っていたが、詳細には気にしていたかった。

昭和の歴史とともに歩んだコンクリート電柱

昭和の歴史とともに歩んだコンクリート電柱

 

最近は電柱に興味をいだいているので、あらためて確認すると、電柱ではない。

昭和の歴史とともに歩んだコンクリート電柱

昭和の歴史とともに歩んだコンクリート電柱

 

こちらにある案内板を確認すると

昭和の歴史とともに歩んだコンクリート電柱

昭和の歴史とともに歩んだコンクリート電柱

 

ここには

昭和の歴史とともに歩んだコンクリート電柱の説明板

昭和の歴史とともに歩んだコンクリート電柱の説明板

 

このように記されている。

昭和の歴史とともに歩んだコンクリート電柱

昭和三年に昭和天皇ご即位の大典が京都でとり行われ、同年十一月には、両陛下が伊勢神宮にご参拝されました。
これにあわせて、皇大神宮(内宮)宇治橋付近から宇治浦田町交差点付近までの間(通称おはらい町通り)約六百mに、通信ケーブル架渉用にコンクリート電柱二十三本が建設されました。
電柱は足場組立装置により現場において施工したもので、ホーロー引の番号札が取り付けられていました。
これらの電柱も、古い歴史を持つおはらい町の再開発計画(町並保存)の一環として、電話線の地中化が行われることとなり、平成四年十月に全て取り除かれました。
この電柱はその内の一本で、昭和初期としては非常に数少ないコンクリート電柱であることから、ここに保存のこととしました。

 

電力用ではなく通信用なので、電柱(電力柱)ではなく、電信柱であるが昭和三年(1928年)とは先日大湊で見かけた1955年よりもかなり古いものだ。

【参考】

 

「足場組立装置により現場において施工」とはどのような施工方法か分からないが、現在のようにプレキャストではなく、現場打ちだろう。

昭和の歴史とともに歩んだコンクリート電柱

昭和の歴史とともに歩んだコンクリート電柱

 

ホーロー引の番号札はここに取り付けられていたのだろう。見てみたいものだ。

昭和の歴史とともに歩んだコンクリート電柱

昭和の歴史とともに歩んだコンクリート電柱

 

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