2025年07月27日(日) 今も残る電柱の直書き塗広告(津市一身田大古曽ほか) (車、徒歩)
本日のぶらりで伊勢別街道から百五銀行 一身田支店方向へあるいていると
【参考】
- 三重県総合文化センターから専修寺のある一身田寺内町までのぶらり、環濠にも 2025年07月27日
こちらの電柱に惹き止められた。
かなり薄くはなっているものの、電柱の表面に広告文字が描かれている。
〇〇酒店のようだが・・・、明確にはわからない。
この電柱は1964年生まれだった。
さらに、一身田寺内町の環濠をぐるりと巡り、赤門跡付近ではこちらの電柱を発見した。
こちらも同様の広告のようだ。
しかも、こちらも1964年生まれだ。
以前に塗り電柱を見かけたのは、伊勢市船江と河崎だった。電柱の生年は調べていないが。
【参考】
- 今も残る電柱に直書きのほぼ消えた広告(伊勢市河崎) 2025年02月24日
- 河崎で見つけた電柱に直書きのほぼ消えた広告(伊勢市河崎) 2016年10月09日
- 建て替えられ(てしまっ)た七越ぱんぢゅう総本家の手書き広告入り電柱(伊勢市船江) 2016年09月25日
- 七越ぱんぢゅう総本家の電柱手書き広告 2012年07月14日
ネットで調べると、東電タウンプラニング株式会社のサイトでは、次のように電柱塗広告の始まりが紹介されている。
電柱広告事業の始まりは1901(明治34)年。「合資会社電燈廣告社」により開始されました。最初期の電柱広告は、三角形三面ガラス入り行灯型で電球が点灯する広告でした。
2年後の1903(明治36)年には現在の巻広告の前身である電柱塗広告が登場しました。当時は電柱にペイントで広告を書く発想は人々に驚きを与えるものだったそうです。
【引用】 電柱広告の歴史(1)| 東電タウンプラニング株式会社 より
さらに、DailyPortalZの電柱広告に関する記事では、次のように電柱に直接書かれた広告が消されたことが紹介されている。
電柱広告の制作を請け負う、東京都葛飾区の大同工芸さんにお邪魔した。
工場長自ら出迎えてくれて、まずは電柱広告の歴史を教えてくれた。「もともとは江戸時代、行灯に店名を書いて飾ったのが始まりだと言われていますね」
電柱広告の歴史の古さに驚かされる。「昭和36年頃までは、電柱に直接書いていたんです。ほとんどが木柱でしたけど」
昭和41年頃、電柱に直接書くのはあまりにも汚いという事で全部消された。【引用】 特集 電柱広告をだそう 看板が出来るまで | DailyPortalZ より
この話はこちらの電柱にも当てはまるのであれば、1964年(昭和39年)に作られた電柱がすぐに立てられ、すぐに塗広告が描かれたとしても、2年ほどで消されたことになる。
この話はもっと調べないと・・・