2024年01月01日(祝・月) 今年の初詣は御薗村誌に掲載される神社めぐり (徒歩)
今年の初詣は、住んでいる地域(御薗町)に鎮座する神社を【キタヰの妻】とめぐることに。
まずは、御薗村誌に掲載されている神社を拾い出し、西から東へとめぐる順に列べかえた一覧を作った。
於喜佐稲荷社(御薗町高向)
宇須乃野神社(豊受大神宮 摂社)、縣神社(同末社)を同座
高向大社(御薗町高向)
上長屋神社(御薗町長屋)
師教天神社(御薗町長屋)
住吉稲荷大明神(御薗町長屋)
秋葉神社、下長屋公民館(御薗町長屋)
御薗神社(御薗町王中島)
秋葉社、王中島公民館(御薗町王中島)
天神社(菅原神社)(御薗町新開)
(ホウソウ神祠(御薗町新開))
河原神社(豊受大神宮 摂社)、毛理神社(同末社)を同座
二木神社(御薗町小林)
訪れたことがある神社ばかりだが、めぐる途中で気になる場所にも少しは立ち寄った。
自宅を出ると寄り道はせず、最初は於喜佐稲荷大明神を訪れた。
祭典の終えた直後の様子だった。
続いては、宇須乃野神社へ移動。
いつもと変らぬ雰囲気だ。
宇須乃野神社を後にすると、その前にある札場の脇を・・・
高向大社では鳥居に日の丸が掲げられていた。
参道を進むとこちらでは祭典が斎行され、献饌の途中だった。
本日は歳旦祭。
高向大社から北、宮川の方向へ進むと
宮川 I.C交差点の脇にある
加牟良神社跡を確認した。高向大社の御頭神事に関わる神社だ。
その後、国道23号の下をくぐると上長屋神社へ。こちらでも参道の入口に日の丸が掲げられていた。「寿 謹賀新年」のパネルも添えられていた。
参道を進むと、修祓で使用されたと思われる大幣と御塩が案の上に残されていた。祭典を終えたばかりなのか?
その様子が拝殿にも残されていた。
大山祗神や秋葉社もまつられていた。隣の公園では、お神酒やぜんざいが振る舞われていた。(私たちは地元民ではないので、寄らずに・・・)
上長屋神社からハートプラザみその方向へ進むと左手にこの木が立っている。
この木を目指して路地を進むと小祠がまつられている。
鏡餅などが供えられていた。
師教天神社から道路へ戻り、北側へ回るとこちらの社叢。
果樹園の脇を進むと立ち列ぶ朱の鳥居の先に小祠がまつられている。
住吉稲荷大明神を後にして下長屋公民館を目指すと、その途中でいつも気になる小祠がある。社号名は不明だが、ここでも小さな鏡餅が供えられていた。
下長屋公民館の敷地内は
鳥居が立ち
この様な神棚が置かれている。ここが秋葉神社だろう。
御薗神社を目指して先へ進むと
その途中、左手にある大水神社を遥拝。
こちらが高向大社を除く、他の神社が一度は合祀された御薗神社。
社務所の奥、細い参道の先にまつられる山神にもお参り。
拝殿前に立てられている合祀記念碑を改めて眺めると、合祀と復祀の歴史を整理しようと思った。
王中島公民館へ移動すると
こちらに鎮座する秋葉社にお参り。その隣には、月待塔や
庚申も残されている。
河原神社の社叢が望める方向へ進むと
まずは臥龍梅公園にまつられる
菅原神社(天神社)にお参り。
御扉の上には「大福神」の門符がつけられたしめ縄が掛けられている。
ここは、祐善庵(別名 梅寺)跡であり、
敷地の隅には、秋葉神社もまつられている。これはホウソウ神祠なのだろうか?
そんな疑問を残しながら、河原神社へ向かった。
残るは、あと一か所。
年末にも訪れた二木神社だ。
二木神社にお参りしてから
同社域にまつあれる稲荷社にも・・・
以上で、御薗町の神社をめぐると帰宅した。
各社により年始のまつり方もさまざまだ。
御薗神社に関わる合祀、復祀については自分自身で整理できていないので、改めてまとめてみよう。