2024年01月07日(日) 展望タワーからの眺望を楽しんだ国営木曽三川公園、薩摩藩士に感謝 (車、徒歩)
多度大社を後にすると昼食用に持参したサンドイッチを食べる場所を考えた。
はやり「ここしかないでしょう。」と木曽三川公園を訪れた。
実は、私はこちらを訪れるのは初めて。(【キタヰの妻】はボランティア活動で訪れたことがあるるそうだ。)
駐車場の場所に迷い、たどり着いたのは第2駐車場だった。なので、こちらからの入園となった。
中央の通りを歩いているとこの案内板が目に入ったので、矢印につられて・・・
なんとも立派な建物であった。
200kg以上もある仏壇を洪水から守るため、滑車を使って2階へ引き上げる仕組みが実現されている。
こちらは住居と倉庫の両方の機能を兼ね備えている。
詳細は、国営木曽三川公園のホームページで紹介されている。
【参考】
- 水屋(輪中の農家)| 木曽三川公園センター
つづいては、展望タワーへ昇った。地上から約50mの高さは別世界。
この方向には
名古屋駅前の高層ビル群が望める。
また、この方向には木曽川および長良川、揖斐川の三川であることがよくわかる。
かつては、これら三川の合流が水害を大きくする原因であったため、江戸幕府は薩摩藩(鹿児島県)に治水事業(宝暦治水)を命じた。細く長く続く築堤は、その事業に携わった薩摩藩(鹿児島県)の藩士たちによる血と汗と涙と無念と苦労とさまざまのものの結晶である。この工事ではさまざまな面で難航し、割腹や病死など多くの犠牲者がでた。
木曽三川公園の入口と道路を挟んで向かいにある
治水神社では
総責任者として工事を進めた平田靱負大人を御祭神とし、犠牲となった薩摩藩士が慰霊されているそうだ。
【参考】
治水神社にてお参りを終えると
木曽三川公園へ戻り、風が吹くなか陽だまりでサンドイッチを食した。
食事を終えると、薩摩藩士が作り上げた千本松原を国道1号まで走り抜けた。
堤の左右に川は広がる・・・・