2024年02月12日(月) 久しぶりのお伊勢さん125社まいり(玉城町・多気町) (車、徒歩)
今年は年始に
ここ数年はお伊勢さん125社の全てを巡ることが疎かになっていたので、そちらを再開しよう。
と宣言した。
本日は、その最初として玉城町と多気町に点在するお伊勢さん125社の摂社・末社を巡った。
玉城町役場に車を駐めると
田丸神社にお参りしつつ、境内を通り抜けた。
こちらの道標で「左 はせ道」伊勢本街道を進んだ。
上田辺羽根遥拝所の先で右へ折れ
しばらくすると坂手国生神社。
参道脇に立つ「禁殺生」石を眺めると改めて調査しようと決意させてくれる。
坂手国生神社を後にして、伊勢本街道へ戻る前に牛尾崎池に立ち寄った。穏やかな池面に癒やされる。
正念僧・即身仏供養碑塚を過ぎると
[茶屋]の地名板付近から次に訪れる棒原神社の社叢を遠望した。
その時、高電圧線のこんなパーツに見惚れてしまった。
棒原神社に向かう途中、山神にもお参り。瓦製の小祠は何をまつっているのか?
ほどなく、棒原神社。2段階の階段を進むと
その先には棒原神社、この丘陵には古墳が点在している。
こちらにも「禁殺生」石。
中腹から西方向へと続く小道を進んだ。
ここから棒原神社の社叢を遠望すると
こちらへたどり着く。
外城田駅の前で
御船神社方向を遠望。
この先は、JR参宮線 角貝踏切の前で直角に左へ進む。
[土羽]の地名板付近からも御船神社方向を遠望。
御船神社には巨大な燈籠と
「禁殺生」石も。
節分の名残だろうか・・・
御船神社を後にすると外城田川沿いを歩いてからこちらへ。
朽羅神社の西側には柿畑が広がっている。
久しぶりの朽羅神社。
ここにも「禁殺生」石が立っている。
朽羅神社を後に
後に・・・
右手に強大なビニールハウスに見える施設があるので近づいたところ、行き止まりのようだった。ここでは柿の耕作放棄地を利用してキウイが栽培されているそうだ。
蚊野神社へ向かおうと田んぼ道を東方向へ進むと右前方に小さな低木の塊が望める。以前から気になっていた場所。今回は訪れてみたので、これは別記事で紹介する。
やっとこちらまでたどり着いた。さきほど訪れた棒原神社の社叢を背にして蚊野神社方向へ進むと
道路脇に山神がまつられている。
こちらが、蚊野神社
ここにも「禁殺生」石。
その後は田んぼ道を・・・して、外城田川4号橋を渡った。
民家から一本離れた道を東方向へ進むと
サニーロードをくぐり
JR参宮線をくぐった。
その先には、田丸城の外堀がある。巨大な望遠レンズで対岸を狙う二人のカメラマンを見かけた。レンズの先へ視線を向けるとカワセミが小枝を上下に揺らしていた。私のカメラではこれが限界だった。
熊野古道伊勢路と交差してから
田丸駅前を通り過ぎると
狭田国生神社を訪れた。
こちらにも「禁殺生」石。
伊勢本街道(熊野古道)で田丸城跡へ戻る途中、狭田国生神社の社叢を振り返ってのパチリ。
なお、三縁寺の参道にも「禁殺生」石がある。
ただし、こちらの建立年は文政壬午(文政五年、1822)で、神社に建てられた「禁殺生」石の建立年は享保甲辰(享保九年、1724)だ。
午前中で巡りを終える予定だったが、少し超過してしまった。
今回は、来年度に御造替を迎える御船神社の様子を確認することも目的としていたが、度々目にした「禁殺生」石に再びの刺激を受けた。
「禁殺生」石の調査と探索を再開しよう。