2024年05月06日(月) 今も残る上長屋区の富士講代参記念碑(伊勢市御薗町長屋) (徒歩)
第62回神宮式年遷宮に関連した摂社、末社の造替・修繕による遷座も7月には完了する。週末時間に余裕が生まれるので、お伊勢さん125社まいりを再開するとともに、郷土史に掲載されている場所を訪れようと考えている。
まずは、先日紹介したタウンヒストリーMisonoや御薗村誌で紹介されている「上長屋区の富士講代参記念碑」を訪れた。
【参考】
富士講(浅間講)については、次の企画展でも紹介されていた。
- 令和4年度 山田奉行所記念館 企画展「伊勢湾を渡った人たち」 2023年01月29日
御薗村誌によれば、御薗村でも江戸時代から富士講が盛んに行われ、明治21年(長屋)、大正2年(高向)の道中記録が残されている。なかでも、長屋の記録ではいつ、どこで、何に、いくら使ったのが詳細に記されている。
往路は神港から豊橋まで汽船で、帰路は佐屋から桑名まで舟で海を渡った。さらに川を渡るために橋賃や船賃を払っている。詳細なので旅程が明らかだ。
また、物価の相場や費用の使途も興味深い。ただし、使途が細かに記されているなかで「入用」「小づかい」とあるのは何だろう?
そんなことを考えながら現地を訪れた。宮川ラブリバー公園の下流側から堤防道路を上流方向へ進むと左下方に
このような石碑を確認できる。
近くに踏み跡があるので、それに従えば容易にこちらへたどり着く。
円のなかに大日如来と刻まれ、その両側には「貞享元甲子(1684)」「五月吉 」とある。
記念碑にはしめ縄が巻かれ、傍らには水が供えられている。今でもどなたかが参っている。
また、記念碑の近くには草に隠れてこのような場所があった。
石が張られた池?
富士講代参記念碑を後にすると宮川から離れる方向へ進み、振り返ってのパチリ。