2024年09月07日(土) 【キタヰの妻】との京都ぶらり(伏見界隈) (鉄道、徒歩)
今回の旅の2日目、東福寺に続いては伏見界隈へ。
京阪電鉄に乗ろうと鳥羽街道駅に着くと券売機はなく「乗車駅証明書」の発行機があった。無人駅なので現金を取り扱わない方策なのだろう。
準急に乗車すると天井が気になった。
微妙に回転する不思議なパーツを眺めているとほどなく目的地の伏見桃山駅に到着した。
今回は近鉄のてくてくまっぷ「伏見酒蔵のまち・歴史探訪コース」を参考にしつつ、適当にアレンジした。
まずは、桃山陵墓を訪れるため、御香宮神社方向への坂道を進んだ。
御香宮神社を通り過ぎ、御香宮前交差点の過ぎると道なりに先へ・・・
乃木神社の交差点を過ぎると
下りの途中で明治天皇伏見桃山陵の大階段へ向かった。この階段を登りたかったのだった。
【キタヰの妻】は階段は苦手なので「振り返れなかった」と。
昭憲皇太后伏見桃山東陵にお参りしようと思ったところ、坂道を階段と同じくらい下ったところにあった。
お参りを終えると
その近くで、こんなモノを見かけた。
先ほど下った坂道を急いで登ると、こちらで待っていた【キタヰの妻】と明治天皇伏見桃山陵にお参り。
帰りはこちらの参道を進むと、参道脇には伏見城石垣の一部が展示されていた。
ここで桃山陵墓を後にすると
来た道を戻った。
先ほど通り過ぎた御香宮神社の門をくぐると、こちらは伏見城大手門だった。
参道を進むと
正面に立派な装飾。
本殿も立派だ。
境内には多数の境内社がまつられている。
御香宮神社を後にすると、坂道を下り伏見大手筋商店街へ。
お昼を過ぎていたので、まずは黄桜カッパカントリーを目指した。
昼食を終えると伏見大手筋商店街へ戻り、近くの源空寺へ。
その後、商店街のアーケードを抜けると
大手筋通を西へ向かった。
しばらくすると朝に九条通りとの交差点を通った竹田街道に出くわした。
さらに進むと濠川を渡り
この案内に従って宝福寺へ。
その途中で見かけた地名板などが興味深い。
こちらが宝福寺。さまざまなもののゴチャ混ぜ感がある。
大手筋通へ戻ると
新大手橋を渡らず、その手前を左へ。
縄手橋まで堤防道路を歩いた。
その後は高瀬川の右岸を進むと角倉橋の先、地蔵堂の脇に旧親柱を見かけた。
この先へ川辺へ下る階段があったので、そこへ進むと
伏見十石舟が通り過ぎた。
こちらで、高瀬川と濠川が合流している。
さらに下流まで行く予定だったが変化がなさそうだったので、肥後橋で折り返した。
対岸を折り返すと濠川と宇治川派流の合流地点に架かる伏見であい橋を渡った。
宇治川派流の川辺を進むとここには柳が多い。
京橋付近で橋の上へ上がると
史蹟寺田屋付近を経由して
竜馬通り商店街を北へ。2つ目の交差点で左へ折れると
右手に油懸地蔵がまつられていた。
こちらの講札が気になる。
竜馬通り商店街を折り返すと
宇治川派流に架かる蓬莱橋を渡ると左方向へ。
ここでも運航する伏見十石舟を見かけた。
対岸に月桂冠大倉記念館を望みながら進むと
右手には門が特徴的は長建寺。
近くには伏見十石舟のりばがあり、20分毎の運航が記されていた。
その後は気になる地名板などをパチリ、
パチリ。
そんななか、【キタヰの妻】が指摘した珍しい境界標。国や地方自治体ではなく、一企業の名称が刻まれている。
伏見大手筋商店街の入口付近に残されている、伏見銀座跡の石標を確認すると
伏見界隈のぶらり。さらには、今回の旅が終了となった。
近鉄 丹波橋駅へ移動すると、京都からの帰りには多用する伊勢市まで乗換なしの特急に揺られた。