2022年11月03日(祝・木) 能褒野神社一の鳥居は撤去され復活しなかったJR亀山駅前 (車、徒歩)
以前に亀山駅前を訪れたところ駅前の様子は一変し、能褒野神社一の鳥居は姿を消していた。
【参考】
- 驚き、再開発で変貌するJR亀山駅前 2022年05月28日
実は、こちらで紹介した「あなたも歴史探偵・・」
【参考】
- 【紹介】これであなたも歴史探偵! 歴史資料調査入門 編著 千枝大志/川口淳 2022年08月31日
私が執筆した「デジタル撮影とブログ公開で町をデジタル化する」では、町歩記 東海道 亀山宿〜日永の追分にて、能褒野神社 一の鳥居 の写真を紹介している。
能褒野神社 一の鳥居 のその後を確認する責任があると思っていたので、亀山トリエンナーレの鑑賞に訪れたこの時に、その思いを実現した。
亀山駅前を訪れると再開発工事は完了していた。広報かめやま 2022 11/1 No.410 によると、10月21日(金)に亀山駅周辺2ブロック地区第一種市街地再開発事業の工事は竣工していた。
能褒野神社 一の鳥居 の復活を期待して探したが
元の場所にはない。その他にも・・・
あの鳥居はどこへ行ってしまったのか?
どこから見ても無いものは無い。
残念な思いで、家路に着いた。
帰宅後に一の鳥居の所在についてネットで調べると、ついにその状況と経緯を知ることができた。
能褒野神社一の鳥居が撤去され、処分された経緯等については、次のリンクにある櫻井清蔵 議員による「能褒野神社一の鳥居の撤去について」の質疑応答で明らかにされていた。
【参考】
一の鳥居が姿を消したことは残念ではあるが、適切な判断だと思う。
残すも残さないも、いずれにしても大変な決断である。
小学生の頃の社会見学で、この壱の鳥居は、亀山市のシンボルの1つとだと教えられ育ちました。学生の頃のJR通学でも毎日見ており、撤去されたことは非常に残念に思っています。議会の答弁もみましたが、色々複雑で難しいところではあるのでしょうが、市は観光都市を目指していたはずで、シンボルの一つとして市の所有物として再建されることが無いか期待(他力本願ですが・・)したいところです。
追加情報。
亀山市駅前では東部端にヤマトタケルの像を新たに建設するようになっています。
鳥居は能褒野神社の壱の鳥居であり、(神社所有ではなかったようですが)
ヤマトタケルのお墓が能褒野神社にあることからしても、
セットで保存できなかったのかと思うところです。
Y.s さん
情報ありがとうございます。
あの象徴的で強烈な印象を受けた鳥居が無くなった時は、ショックを受けました。
地元の方ならなおさらだと思います。
市の所有物としての鳥居再建には私も期待したいです。